サレジオ会 クレミザンハウス   200910月訳出

(翻訳協力:Chieko、Fr.Matsuo)

 

分離壁建設によって造りだされた困難な状況

 

Beit Jalaのパレスチナ自治区におけるイスラエルの分離壁のための建設作業の当初からサレジオ会中東 管区(クレミザンハウスが所属している)は次のような声明を出すことを望んできた。

 

・2004年6月9日、国際司法裁判所が出した有名な勧告にもかかわらず、クレミザンの所有する部分を含めて分離壁の全てはイスラエル当局よって完全に自主的に設置されたものである。

サレジオ会はイスラエル当局の一方的な決定による被害者であり、一方のみの分離政策に対して断固として反対する。分離壁の計画は完全に外部からは無関係なものであると再度宣言すると同時に全ての合法的な機関に国際法の再制定に着手することを呼びかけるものである。

 

・丘の上にあるイスラエル入植地Har Giloを囲んで、1967年にイスラエルによって一方的に樹立された 大エルサレム区域に通じるように、サレジオ会のハウスの丘の上部を分離壁が通っているが、ハウスがその自治区の境界内にあることは特筆すべきことである。GiloとHar Giloの入植地の間に挟まっているからといって分離の前提が考慮されることは無い。壁のどちら側に留まるかという選択はサレジオ会には提示されていない。なぜならイスラエル当局が自分たちで作った境界の中 でハウスの位置を事前に決めていたからである。

 

・クレミザンハウスとパレスチナのAl−Walajeh村の境界に沿った分離壁の部分はサレジオ会の敷地に築かれているが、それは村の中を通れば被害がもっと大きくなるので村を避けたからである。

 

・壁の建設以前に立ち戻ってみるとサレジオ会はパレスチナの村の困難な状況を悪化させるようなことは何もしていないし、村自体に属する土地を接収することにはどんなかたちでも賛成していない。―直接的にも間接的にも―

 

第一次、第二次のインティファーダの長い期間中、サレジオ会はパレスチナの全ての車両に敷地の中の道の通行を許可したことを思い起こしてみるといいだろう。

(訳者注:インティファーダの最中、パレスチナの村人は検問所などにより包囲され、ベイト・ジャラの町まで行くことができなくなる状況に陥った。そのため クレミザン修道院は、村人に修道院の敷地を取ることができるよう開放したことがあった)

 

なぜなら占領された土地の南北を結ぶルートが他に無かったからである。しかし以前のルートが再びパレスチナの交通に開放されればサレジオ会の敷地を通る必要はもはや無くなる。したがってクリミザンハウスが分離壁のイスラエル側にあるからといってAl−Walajeh村の住民が公道を通ってウエストバンクの残りの部分に行くことを妨げる何ものでも無い。

 

サレジオ会の責任者はいつも地元のパレスチナ人との対話に応じており、パレスチナの人々にいくつもの社会的な便宜を度々図っているが、深刻な孤立に陥っているAl−Walajeh村と占領の苦難に耐えている全てのパレスチナ人に対して元の状態に戻すことを望んでいる。

同時に平和な未来のために、人々の間にある全ての壁が崩れることを心から願っている。

 

 

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