サレジオ会 クレミザンハウス   200910月訳出

(翻訳協力:Chieko、Fr.Matsuo)

 

歴史

 

今では昔のことだが、100年以上前にはクレミザンはベイト・ジャラ(Beit Jala)から現在のエルサレム郊外へと広がる緑の畑でしかなかった。その緑園はイタリアの修道士アントニオ・ベロ−ニ神父(18311903)が設立した修道会が松林、オリーブ畑、ぶどう畑を植栽した結果であった。

実際、クレミザンはベツレヘム、ベイト・ジマル(Beit Gemal)、ナザレとともに、彼が孤児院として設立した四つのセンターのうちの一つであった。そこでは身寄りの無い幼い子を受け入れ、居場所を提供し、必要な道徳を教え彼らがきちんとした人生を送れるように職業教育をしている。

 

現在の地図ではクレミザンはエルサレムから約9キロ、ベツレヘムから5キロのハル・ギロ(Har Gilo)の北側の斜面上に見ることができ る。標高800メートルに位置しており、上部はエル・ラス(ErRas)山から 、下部はワディ・アハマド(Wadi Ahmad)川の川底にまで広がる広大な地域からなる。

 

現地で土器が発掘され証明されているように、ここでは青銅器時代から人が居住しており、後に重要な農耕の入植地として発展した。

 

ワインの圧搾機や貯蔵タンク、水の導管、人工的に掘りぬかれた地下蔵などが岩を切り開いて作った20基ほどの墓と同様に今もなおよく見ることができる。それらは第二神殿時代以前に作られた物のようだが、ローマ、ビザンチン時代に再び使われた。

 

クレミザンの名はおそらく“Kermzan”つまり「甘い葡萄」からきていると思われる。「ザニ(zani)グレープ」の畑の意味であろう。これは地元産葡萄の一種であり今もベツレヘムとヘブロンの間の地域で栽培されている。

 

クレミザンの特別な意味や、その評判の高い厳選されたワインが今あるのはワイン貯蔵庫のあるまさにその場所に古代のワイン製造設備が存在したからである。

 

ワイン作りの工程それぞれに適するように岩が4段階の高さに掘削されている。それらはおそらく鉄器時代後期に切り出されたと思われるが、一番大きな貯水槽のモザイクの床の小さな残存部分から、第二神殿時代とローマ、ビザンチン時代によく使われていたことがわかる。

 

 

 

 

ワイン醸造所

 

数百年もの間、中断されていたワイン造りの伝統がこの地で再び復活した。

これはベローニ神父の修道会が1885年に着手し、その後1891年にサレジオ修道会がやって来て始まったのである。

 

当初ワイン造りは非常に小規模の家内作業であったが、時とともに小さな産業に発展し、サレジオ会の伝統的な手法が近代的なワインの製造技術に匹敵するまでになった。

 

最初のうちワインは主にベツレヘムとエルサレム地区の修道院に供されたが後に国中に広く供給されるようになりナザレ、ハイファ、ジャファそしてヨルダンにまで広まった。

 

長い間、ワインは原始的な圧搾機を使って手作業でのみ作られていた。 しかし1968年、ワイン醸造所は完全に刷新された。現代的な圧搾機、発酵とビン詰めの設備がイタリアから輸入された。

 

新しい設備では(1990年代初めから)年間50万リットル以上の様々なワインとぶどうジュースが生産されている。

 

1990年代にはもうひとつの大きな改革がなされた。それはカベルネソーヴェニヨン、メルロー、シャルドネー、エメラルド・リースリングなどの国際的な何種かの葡萄をベイト・ジマル、もうひとつのサレジオ会修道院のあるベト・シェメッシュ(Beit Shemesh)近郊の広大な葡萄畑に植えたことである。

 

 

 

 

 

社会的側面

 

クレミザンは1891年からサレジオ会に所属している。

サレジオ会の神父たちは孤児院を作る前からクレミザンにおり、当時は修練院であったものが次第に発展して行き2004年には立派な国際神学院となった。

 

2005年にはその国際神学院がエルサレムに移転した。そこでは世界中から来た留学生(主にアフリカとインドから)を30人以上受け入れている。

 

修道院はオリーブオイルとワインの販売促進を始めた。特別に貧しい留学生を援助し、ベツレヘムの孤児院を助け、地域を発展させ、修道院の経済的自立を保証し、1957年からは大学を補助している。

 

約125年間にわたる事業が良い結果を生んできた。

つまり、今日クレミザンはユダ地域で最も美しい場所のひとつである。治安の良い環境や珍しい野生動物の生息地として人気があるばかりでなく(地域の)改良が成されたこともその理由である。

丘陵を棚状にして葡萄畑やオリーブ畑や果樹園などを耕作したり、地域で最も古い松林のひとつのそばのエリアに木を移植して周りの緑の木と調和した保養地を作ったことなどである。

これらの理由からクレミザンはピクニックや遠足に最も好まれる目的地のひとつとなった。

 

その上、このワイン醸造所は「社会的企業」の典型的な例としてよく引き合いに出される。その存在理由はなぜならそれが存在するという単純な事実の中にある。 

 

a.地域の雇用とそれぞれが衛星経済を伴う適切な経済活動を生み出している。(ワイン醸造所の実際の職員は15人である)

 

b.サレジオ会の数多くの社会教育活動を維持する財源を提供している。

たとえばベツレヘムにはサレジオ工業学校、職業訓練センター、若者やスカウトのグループ、製パン所などがある。

ナザレには初等教育から専門的な資格を取るまでの学校や、若者のグループがあり、エルサレムには国際神学院がある。

 

c.サレジオ修道会が自ら(これらの活動を)持続的に維持していくことを保障する。

 

 さらにこの地域のワイン生産を維持することはまた、この100年間の文化的な証しとさらに重要な巨大なキリスト教社会の存在を守るための象徴として重要なのである。

 

ここ数年ことに第二次インティファーダの後、ワイン醸造所は多くの構造上の問題に直面している。

 

つまり設備と建物の老朽化、設備の向上に関する情報の不足、ワイン造りの分野で働く地方のスペシャリスト不足、最新の技術についての知識不足、抗争による閉鎖ともっと最近では分離壁の建設に関する問題等である。

それがなぜ緊急で強力な介入が必要なのかといういくつかの理由である。

 

   ワインのトップに戻る                 分離壁の建設による影響に続く